年の初めの…
         〜789女子高生シリーズ
 


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 草野さんチの当代のお館様は、シリーズ中で少しずつお伝え申し上げておりますように、日本画壇にその人有りとされておいでの、草野刀月という日本画家でおわしまし。本名は勿論、もっと平凡なお名前なのですが、ここでそれまで明かすと何かとややこしいので当分はこのままで。
(おいおい) そんなお父様の側の親戚筋は、元は侯爵だか伯爵だか、華族だったという由緒正しいお血筋でもあり。本家は、父上の伯父様、七郎次からだと大伯父にあたるお人が継いでおいでなのだけれど。今のご時勢では、そのまま事業を手広く手掛けておいででも無い限り、はたまたやんごとなき高貴な筋とのパイプでも無い限り、そんな“血統”だけでは、そうそう取り立てて持て囃されるということも少なくて。むしろ、自身の実力で頭角現し、名を馳せた刀月様のほうが、世間的には名も通っておいでで信用も厚く。そんなせいか、新規の客人、取引先なぞへの口利きだとか、微妙に畑の違うことへまで、逆に引っ張り出されておいでのお父上様だったりもするそうな。その余波というものか、お付き合いも様々な範囲へと及び、無下にも蔑(ないがし)ろにもしにくいお立場のお父様でも、さすがにこうまで日が経つと、新年の宴とやらからも解放されて、ご自宅でのんびりと初春の気配なぞにひたっていられたというところか。

 「あ、お父様。」

 羽子板遊びの用具一式、確か蔵にしまわれている筈だと思い出した当家のお嬢様と、そのお友達という三人連れ。前庭から脇へ逸れての四阿
(あずまや)まで…という、本格的な日本庭園よりは ちと小ぶりながら。ちょっとした息抜きにと佇むには丁度いい、古楓や椿の植わりようも風雅な趣きの、中庭の方へと辿り着けば。黒っぽい濃茶の丹前と、紬の袷を着流しに装う草野刀月様が立っておいで。

 「おや、これは綺麗どころがお揃いなのだね。」

 ふふと微笑む顔容
(かんばせ)は、口唇の上、お鼻の下へとお髭を蓄えておいでの、それが品よく収まっている、なかなかに伊達なナイスミドルであらせられ。最近、少しばかり髪に白いものが入り始めたのさえ、表情の知的な冴えをくすませもせず。むしろ、稚気あふれる柔和な笑顔が若々しくさえあるせいか、さまざまな教育番組へ、美術品や文化財、日本家屋や庭園の解説などをと担ぎ出された挙句、そこから“あの人だれ?”との反響が起こってしまい、あんまり関係のないよなテレビ番組への露出も増え始めておいでだとか。勿論のこと、そんな肩書は抜きにしたとて、お友達のお父様…としてでも、

 「いつお逢いしても、
  ダンディでカッコいいお父様ですよねぇ。」
 「…、…、…、…。(頷、頷、頷)/////////」

 思わぬご対面となってしまって、あややと含羞む女子高生二人へ、遺漏のないお愛想を振るところも行き届いておいでの父上は、今時なかなか居ないよぉと、こそり あとの二人からの評判も上々なのだが。

 『なんの、勘兵衛様に比べれば。』

 とことん娘に甘いし、他所の親戚筋への融通や勝手もあるとはいえ、面倒ごとを無理してでも引き受けちゃうよな、体面を結ぶことへ細かいときがあるし…なんて。精悍にして野性味あふるる、つまりはやや大雑把な島田警部補に、ぞっこん惚れておいでの白百合さんとしましては。ツンと澄ましてのそのまま、軟弱なだけですよなんて、辛辣なことまで言ったりするらしく。

 『…まあ肉親だから遠慮も無くなるというか。』

 お父様の画題の、麗しいもの素敵なものに囲まれてて目が肥えたかなぁと、やや遠慮がちな言いようをする平八よりも…ちょいと手厳しく、

 『贅沢な。』

 こればっかりは一刀両断、あの気の利かぬシマダに比べたらどんなに出来たお人かと。むしろ彼女には好みのタイプだったか、お父様の肩を持つ久蔵なのが、ちょっと笑える相性や評価だったりするらしい。

  ………それはともかく。
(笑)

 「どうしたね。こんなところへ出て来て。」

 丹前のお袖へ互い違いに腕を入れる格好で腕を組み、自慢の椿を眺めておいでだったお父様。うら若きお嬢様たちが、庭に出て来ての息抜きもあるまいと、くすり微笑いかけて下さるのへ、

 「羽根つき遊びをしようと思ったので。」

 蔵を開けてもいいでしょかとお伺いを立ての、前庭の車寄せ、芝もなくの打ちっ放なしになっている、ロータリーを使いますよと断りのして。三枚戸の扉をよいしょと押し開け、まずはとお道具を探して回り、がっつりした頼もしい、基礎に使う梁ばりの材で張られた棚に置かれた、こちらもまた年期の入った木箱に収まっていたのは。飾りっ気のないシンプルな羽子板が数枚と、ムクロジの玉も黒々したカラフルな追い羽根と。ああこれこれと口にしたところからして、七郎次自身遊んだ覚えがあるようだったし。

 「………。」

 久蔵もまた、経験は随分と有りなのか、か細い柄を握ると、卓球のラケットもかくや、ぶんぶんと振って見せており。

 「それじゃあ、遊んで来ますねvv」

 今時の女子高生には、あまり魅力もなかろう遊びだのに、それへ関心が向こうとはと。我が娘ながらなかなか出来た風流人よとかどうとか、白百合さんの言いようを借りれば…、つか、そうまでせずとも立派な親ばか丸出しの見解を咬みしめ、うんうんと頷いておいでだった刀月様だったのだけれども。

  ……ますよぉ?
  は〜いvv

 やがて、いかにも愛らしい少女らのお声がかすかに届き、カツン・コツンという、ムクロジの玉の部分が羽子板へ当たる音が軽やかに響き始めて。やぁん外した、あ、あ、走って右右と、はしゃいでおいでのお声も、澄んだ冬空を渡って来たものだから。どら、どんな愛らしい打ち合いをなさっておいでかと、くすすと渋く微笑みながら、足を運び掛かったところが………

  カキン、コキンッ
  カッチカチ、キンっ、
  カキン、キン・カキン……と

 最初のうちは間延びして軽やかだった硬質な打音。それが徐々に、なかなかに けたたましくもテンポアップしてゆき、しかもその狭間には、ざかざか、たたたたっという軽快な足音まで入り混じると来て。

 「???」

 何だなんだと不審に感じたのはお館様だけではなかったようで。家人らも、窓から、若しくは居合わせた戸口などなどから、お顔を覗かせ、何が起きているのやらと視線を投じた前庭にては……

 「わ、鋭い。」
 「何の、ていっ!」
 「……っ。」

 例えて言うなら、バドミントンの打ち合いを卓球のラケットで行っているような。こんこん・こ〜んと上向きに弾いての、相手へどうぞと渡すような穏やかなそれじゃあなく。叩きつけての切り込むような、抜き身での切り結びもかくや、そりゃあ鋭い“打ち合い”の対決が繰り広げられており。

 「………う〜んと。」

 さすがは若き反射神経の素晴らしさか、そんな引っ切りなしの打ち合いでも、落下点へと素早く駆けつけ、打ち込まれた羽根を見事に拾って打ち返すせいで、数回レベルでのラリーは成立してはいて。

  とはいえ

 軽快な足さばきだとはいえ、足元まで落ち掛かってる地面すれすれのを掬い上げるようにしてのそれなので。ともすればバレーの回転レシーブもどきのプレーになったり、ダイブしての以下同文となってたり。

 「久蔵殿ってば、さすがだなぁ。」
 「ホント、ホント。」

 絶ぇ対 落とさないもんね、と。妙な感心をしているお嬢さんたちなのをとうとう見かねたか、

  「あ〜、その。……ちょっといいかな?」

 草野刀月画伯、年頃の我が娘とお友達へ、ささやかな提案を何とか申し出たのであった。





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 *実は、羽根突きには『正式な遊び方(ルール)』というのがあるそうで。
  それに拠れば、
  コートを描いて左右の陣に分かれ、
  境界にはネットを張ってという
  “和製バドミントン”方式が採用されているのだそうな。
  自分のコート内で3度まで拾えるとか、なかなかユニークな代物で、
  とはいえ、それは近代からのこと。
  そもそもは公家の遊戯で、ウィキせんせえに拠れば、

   女児が健やかに育つようにという願いを込めて行われる神事であり、
   古くは奈良時代から続く、
   公家の間で行われた神事や遊戯であり、元は毬杖
(ぎちょう)と言った。

  …のだそうである。
  打ちそこなったら罰として、顔に墨でバツ印などの落書きをされるのは。
  墨を塗る行為が縁起をかついだそれだから。
  墨には厄除けや殺菌効果としての病気除けの効果があると考えられていた。

  そちらの方の“ルール”というか遊び方はというと、
  羽子板で羽を上にたたきあげるようにして相手にパスをするもので。
  相手のパスを打ち損なって地面に落としたほうが失点となり、
  何度ラリーを続けられるかを競う団体戦があったり、
  落とした方が負けだったりという辺りは、蹴鞠を思わせますね。

  羽根突きの遊び方(ルール)
   http://www.kasukabe-tokusan.jp/2hagoita/asobikata.html


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